shinya

ふと思ったことをまとめていきます。

第二回 「正義」とは  ~正義感および価値観のワナ~

正義とは何か?よく聞くのは、「悪」に対する正義だ。あるいは、正義の反対も正義だというくさい表現をされることもある。今回は、「ルールによる正義」と「思想による正義」に分けて分類して考えていく。

まず、「ルールによる正義」は、その名の通り、ルールに従うことを正義とし、ルールに反する者を悪とする考え方だ。これがあることで、本来 利己的である生き物が社会を構築することができる。利己的な本能を全体(社会)を重視するルールで押さえ込むのだ。

これについて、分かりやすい例を挙げると「マスク警察」が挙げられる。これは、新型コロナウイルスが蔓延しているので、外出するときはマスクをつけるという暗黙のルールがあったのだが、これを破りマスクをつけない人に対して、いやがらせをするというものである。

次に、「思想による正義」は、物事に対する考え方による物だ。実はこれもマスク警察で例えられる。今度は、マスクをつけない側の立場で考えてみよう。

マスクをつけないのには理由があるはずだ。マスクを買えないからだとか、マスクをつけるのが嫌だからだとか、色々な理由が考えられる。いずれにせよ、人が起こす行動にはその人なりの理由があり、考え方があるわけで、その人なりの正義なのである。

ところで、人間というのは他者に罰を与えるのが好きな生き物である。例えば、正義が悪を懲らしめるという構図は万人受けしやすく、子供向けのアニメから、大人向けのドラマまで、幅広く扱われる。「正義対正義」という構図も、「正義の反対は悪である」という考え方を「悪」とするだけで、結局は「正義対悪」なのである。

心理実験でも、人は合理的な判断よりも、相手に罰を与える選択を優先することがあるという結果が出ている。このように、「正義対悪」というのは多くの人に受けやすく、人を動かす手段としてとても便利なのだ。

では、次は話を変えて、人が何をもってして「正義」を感じるのかを考えていこう。先ほど「正義」を二つの分けたので、まずは「ルールによる正義」について考えていく。「ルールによる正義」はその名の通り、ルールに従うことで感じる物である。では、ルールは何を元に構成されているのかというと、論理や宗教である。法律などは論理が元になっているし、宗教だと、その宗教のルール(例えば、豚肉は食べていけないなど)が当てはまる。だが、前回述べたように、これらは1を100や1000にするだけで、0から1を作れる物ではないのだ。(例えば、数学なら「1」とは何か、といった「公理」が必要になる。あるものを定義することで初めて論理を練ることができるのだ。)

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第一回   「論理」とは 〜論理と宗教の共通点〜 - shinya (hatenablog.jp)

しかし、逆に言えば、どのように0から1を作るのかで正義とは何かも変わってくるのだ。多くの人に信用される者がそれをやれば、大衆の正義感を操作できる。それはすなわち、多くの人を動かせるということなのだ。

次に、「思想による正義」だ。思想による正義の根源はその人の思想による物だから、他者に影響される物ではないと考える者もいるかもしれない。

しかし、「思想」をさらに掘り下げていくと「思想」をつくる元になるものは外的要因、つまり、他者による物であることが分かる。例えば、民主主義の日本人は、民主主義を正義として、社会主義共産主義を悪とする人が多い。もちろん、社会主義派や共産主義派もいるだろうが多くは民主主義派が占めている。一方でロシアや中国に住む人はどうだろうか。多くの人が社会主義派や共産主義派かは分からないが、少なくとも日本よりはそういう思想の人が多いだろう。(そういう国の国民はそう思わざるを得ないという考え方もあるだろうが)向こうからすれば社会主義共産主義が「正義」で、民主主義が「悪」なのだ。私が言いたいのは「どちらの思想が正しいか」ということではない。

「何が『正義』で、何が『悪』なのかは、その人の置かれた『環境』によって変わるのだ」ということだ。それならば、何が正義で何が悪なのかは答えが出ないから無駄なことのように見えるかもしれないが、正義感というのは社会を構成する上で重要な役割をもっている。

「正義」の大衆を動かしやすいという性質は、多くの人間を1つのもとまりとして機能させるために重要な役割を持っているのだ。

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次回 第3回  「民主主義」とは   ~平等な選挙か、良質な選挙か。~ - shinya (hatenablog.jp)

あとがき

今回の記事では色々な場面で使われる「正義」について扱った。

「正義」の心理を使って人を扇動しようとする者は多いが、それが良いか悪いか、ということではなく、それに操作されすぎないことが大事だと思う。「正義」の心理は本文でも述べたとおり社会を構築する上でとても大切だが、多くの人が知らないうちに洗脳される危険性ももっている。知ってて影響されるのか、知らずに影響されるのかでは全然違うので、多くの人にこのことを知ってもらいたい。

まあ、それはかなわぬ夢であるだろうが...

そういえば、私は小学生の時、格差をなくすにはどうしたら良いかを考えたことがあった。その時思いついたのが「給料をすべて一定にする」というものだった。その後その思想は社会主義と呼ばれるもので、その方法の欠点を知ったことで、今は社会主義派ではなくなったのだが、もし私が中国やロシアに生まれていたら社会主義派になっていたかもしれないと、ふと思った。

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