shinya

ふと思ったことをまとめていきます。

短編2 見抜くべきはデマではなくプロパガンダ

この前ニュースを見ていたらこんなことを聞いた

「デマやフェイクニュースを見抜くメディアリテラシーが重要です。」

これを聞いて、ふと思ったことがある。というか、ふと思い出したといったほうが正確だろうか

というのも、世間一般ではメディアリテラシーというのは「悪いニュースを見抜き、排除すること」を指しているような気がする。そして、その情報が「真実」であり、「嘘」で無いかについて、過度に反応しすぎなように思える。というのも、私は情報が嘘か本当かは正直そこまで重要ではないと思っているのだ。(どうでもいいとまでは言わないが)

それよりも重要視すべきなのは「プロパガンダ*1を見抜く事だと私は思う。というか本来「メディアリテラシー」とはそのことを指す。

デマやフェイクニュースに流されることは確かに問題かもしれないが、最も怖いのは「多くの人がメディアに洗脳されていることに気づかない」ことであると思う。(ただし、プロパガンダが敵であると言いたい訳では無い)

というかそもそもプロパガンダを見抜ける力があるならばデマであれ真実であれニュースに流されることなど無いはずだ。

世間では「ニュースに流されること」を悪としているのに、その原因を「デマ」にするのは少しズレているように思う。というか、マスメディアが意図的にずらしているようにも思える。

仮に、「デマに流されること」が悪であるならば、「正しい」ニュースに流されることは問題ない事になってしまう。しかし問題なのはニュースに「流されること」である。これでは焦点がズレている。というかそもそも「正しい」ニュースだとしても、その伝え方で言うことは180°変わる。デマであれ、正しい情報であれ同じ事はできるのだ。実際、彼らの言う「正しい」ニュースでも「事実を歪めている」としてマスメディアに「悪いニュース」とされることがある。

そもそも事実を歪めずに伝えることは不可能であり、一見歪まずに見えるのは自分の直感通りに歪められているか既に洗脳されているかのどちらかである。

プロパガンダを見抜くことができれば悪いニュースに扇動されることはない。そもそも良いニュース、悪いニュースという考え方が間違えている。ニュースに悪も正義もない。ニュースはただ、「人を動かす為」にある。

現在重要視されている「正しいニュース」を判断する能力は、逆にニュースを「良い」「悪い」で考えることで柔軟な考え方を捨てて、より洗脳されやすくしていると私は考える。

*1:一応言っておくが、プロパガンダとは「相手に対してどう思わせようとするかを考え、そう思わせる為にどうするか」である。決して悪いニュースのみが使っている手段などではなく、善悪関係なく全てのニュース(それどころか全てのコミュニケーション)で)使われているものである。例えば、「安倍総理の暗殺の裏には統一教会が潜んでいた」というニュースは「統一教会という組織が人に知られずに悪いことをしていた」と思わせる為のプロパガンダである。日常会話だと「AスーパーよりBスーパーのほうが安い」というのは「Bスーパーのほうが得だ」と思わせるためのプロパガンダである。